国分寺を潤した命の水路 – 本多用水 知られざる物語
【第7回】 都市に息づく水の道 ~現代の本多用水を探る~
前回は、江戸時代に開削された本多用水が、明治から昭和へと続く時代の大きな変化、特に都市化の波の中で、その役割を終え、多くが地下へと姿を消していった(暗渠化)歴史を辿りました。もはや、かつて村を潤した水の流れは、遠い昔の物語になってしまったのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。注意深く街を歩き、少しだけ歴史に思いを馳せてみれば、あの本多用水が今も私たちのすぐそばに息づき、様々な形でその面影を伝えていることに気づくはずです。今回は、現代の国分寺に生きる本多用水の姿を探ってみましょう。
歴史を語る「史跡」として
まず、忘れてはならないのが、本多用水が国分寺市の指定史跡であるという事実です。これは、単なる古い水路ではなく、国分寺の歴史と発展を理解する上で極めて重要な文化財として、公的にその価値が認められていることを意味します。なぜなら、本多用水は、
- 地域の発展の礎: 水不足を克服し、農業生産を向上させ、今日の国分寺の基盤を築いた。
- 先人の努力の結晶: 本多雖軒をはじめとする人々が、多大な困難を乗り越えて成し遂げた偉業の証。
- 歴史の生き証人: 江戸時代の土木技術や水利の歴史、村落共同体の営みを今に伝えている。 からです。
市内には、本多用水のルート上や関連する場所に、その由来や歴史を記した石碑や説明板が設置されています。これらは、私たちが用水の物語に触れるための貴重な道しるべとなります。
憩いの場「緑道」として再生
本多用水の現代における最も身近な姿の一つが、暗渠化された水路の上部を利用して整備された**「緑道」や遊歩道**でしょう。国分寺市内には、「本多緑道」など、かつての水の流れに沿うように緑豊かな散策路が設けられている場所があります。
木々が植えられ、ベンチが置かれた緑道は、市民にとって格好の散歩コースであり、憩いの場となっています。子供たちの遊び場になったり、季節の花々が彩りを添えたり。かつて大地を潤した水の道は、今、人々の心と暮らしを潤す緑の道として生まれ変わっているのです。緑道によっては、水路を模したデザインが施されていたり、歴史を解説するパネルが設置されていたりする場合もあり、散策しながら楽しく歴史に触れることができます。
今も残る貴重な「開渠」区間
驚くかもしれませんが、本多用水の全てが暗渠になったわけではありません。市内の一部には、今も地上を水が流れる**「開渠(かいきょ)」区間**が、わずかながら残されています。例えば、恋ヶ窪の「姿勢均整院」の前などでは、コンクリートで護岸された水路を水が流れる様子を実際に見ることができます。
もちろん、かつてのように農業用水として勢いよく流れているわけではなく、水量も限られていますが、それでも地上を流れる水の姿は、私たちにかつての用水路の雰囲気をリアルに伝えてくれます。都市の中で、こうした開渠区間が残されているのは非常に貴重であり、訪れる価値のあるスポットと言えるでしょう。
地形や地名に残る記憶
その他にも、本多用水の痕跡は、街のそこここに残されています。
- 地名: 国分寺市「本多」という地名は、本多雖軒や本多家との深い関わりを今に伝えています。
- 地形: 注意深く観察すると、道路が緩やかにカーブしていたり、土地にわずかな窪みがあったりする場所が見られます。それらは、かつてそこを用水路が蛇行して流れていた名残かもしれません。
地域の宝として
このように、本多用水は形を変えながらも、現代の国分寺に確かに息づいています。それは、地域の歴史を物語る文化財として、人々の憩いの場として、そして郷土への愛着を育む存在として、今も大切な役割を担っているのです。
さあ、こうして現代に残る本多用水の様々な姿を知ると、実際にその跡を辿ってみたくなりませんか?
(第8回へつづく)
【第8回予告】 いよいよ最終回! これまでご紹介してきた本多用水の歴史と現代の姿を、実際に自分の足で辿るウォーキングガイドをお届けします。おすすめの散策ルートや見どころを具体的にご紹介。地図を片手に、国分寺の歴史散歩に出かけましょう!


コメント