国分寺を潤した命の水路 – 本多用水 知られざる物語
【第5回】 歓喜の響き、大地を潤す ~本多用水、ついに完成!~
前回は、本多用水開削工事がいかに困難を極めたか、名主・本多雖軒(ほんだすいけん)の私財と覚悟、そして村人たちの汗と涙、そして固い絆によって支えられた様子をお伝えしました。長く、険しい道のりでしたが、ついにその努力が実を結ぶ時がやってきます。今回は、幾多の困難を乗り越えて本多用水が完成した歓喜の瞬間と、それが国分寺村にもたらした計り知れない恩恵に光を当てます。
ついに水が来た! 歴史的瞬間
[完成したとされる正確な年、または文化・文政年間など時期を記述]、その日はついに訪れました。野火止用水から分かれた水が、新たに掘られた数キロメートルに及ぶ水路を満たし、国分寺村の、あの乾ききっていた台地へと、音を立てて流れ込み始めたのです。
サラサラと、あるいはゴウゴウと流れる水の音。それは、長年水に渇望してきた人々にとって、何物にも代えがたい希望の響きだったことでしょう。水路の脇には、雖軒をはじめ、工事に携わった多くの村人たちが集まり、固唾を飲んでその光景を見守っていたはずです。水が勢いよく流れ、乾いた土を潤していく様子を見て、彼らの顔には安堵の表情と、抑えきれない喜びの笑みが広がったのではないでしょうか。中には、感極まって涙する者もいたかもしれません。
先頭に立ってこの大事業を導いてきた本多雖軒の胸には、万感の想いが込み上げていたことでしょう。これまでの苦労、犠牲、そして支えてくれた人々への感謝…。目の前を流れる水は、彼の情熱と、村全体の悲願が達成されたことの何よりの証でした。
大地への恵み、暮らしの変化
本多用水の完成は、国分寺村に劇的な変化をもたらしました。まさに、大地への大きな恵みとなったのです。
- 新田開発の実現と石高の増加: これまで水が届かず、畑作しかできなかったり、あるいは荒れ地だったりした台地上の土地に、水を引いて水田(新田)を開くことが可能になりました。これにより、村の米の生産量(石高)は大幅に増加したと伝えられています。これは、村の経済力を大きく向上させ、人々の食糧事情を安定させる上で決定的な意味を持ちました。
- 農業全体の安定: 水田だけでなく、畑作にとっても安定した水供給は大きな助けとなりました。日照りが続いても、用水から水を引くことで作物を守ることができ、農業生産全体が安定しました。これは、農民たちの生活基盤を強化することに繋がりました。
- 生活用水の確保: 農業用水としてだけでなく、日々の暮らしに必要な水(飲み水、洗濯など)も格段に得やすくなりました。水汲みの労苦から解放され、より衛生的で快適な生活を送れるようになったのです。
- 村の活性化: 農業の安定と発展は、村全体に活気をもたらしました。経済的な余裕が生まれ、村の様々な活動や、将来への投資も可能になったかもしれません。
感謝を込めて「本多用水」
この計り知れない恩恵をもたらした新しい用水路は、その完成に命を懸け、中心となって尽力した**本多雖軒の功績を称え、人々によって「本多用水」あるいは「本多新用水」**と呼ばれるようになりました。それは、彼の偉業に対する深い感謝と尊敬の念が込められた名前として、後世に伝えられていくことになります。
分かち合った喜びと未来への希望
完成した用水路を前に、本多雖軒と村人たちは、これまでの苦労を分かち合い、共に喜びを爆発させたことでしょう。それは、単に便利なものができたというだけでなく、自分たちの手で困難を乗り越え、村の未来を切り拓いたという大きな達成感と、希望に満ちた瞬間でした。
しかし、物語はここで終わりではありません。完成した用水路は、その恵みを永続させるために、適切に維持管理していく必要があります。次なる課題が、彼らを待っていました。
(第6回へつづく)
【第6回予告】 用水は完成しましたが、その流れを未来へと繋いでいくためには、絶え間ない努力が必要でした。次回は、完成後の本多用水がどのように守られ、利用されてきたのか、そして時代の変化の中でどのような運命を辿ったのか、その維持管理と変遷の歴史を追います。


コメント