本多雖軒年代記

【本多雖軒 年代記】第6回 地域を診る ― 農村医療と“患者表”の記録

教育者として教壇に立つ一方で、雖軒は医師としても休むことなく地域に尽くしていました。
農村に暮らす人々の病と貧しさ、そして命の現場に立ち続けた雖軒の姿は、
単なる「治療者」にとどまらない、“生き方の医者”とも言えるものでした。


■「施治患者表」の記録

明治14〜15年(1881〜82年)、雖軒が記したとされる**「施治患者表」**には、
約324名の患者の診療記録が丁寧に記されています。

この資料は現在でも郷土史研究者や医学史学者によって高く評価されており、
当時の村落医療の実態や、どのような病が流行していたのかを知る貴重な手がかりとなっています。


■ 医の姿勢 ―「病だけでなく、人を見る」

雖軒の診療の特徴は、病状だけでなく患者の生活背景や人柄を大切にしていた点にあります。

  • 病に苦しむ貧しい農民には薬を無料で渡す
  • 難病を抱える子どもには家族のケアまで心を配る
  • 働き手を失いかけた家に、励ましの言葉と療法を伝える

こうした対応に、地域の人々からの信頼は厚く、遠方からの往診依頼も後を絶ちませんでした。


■ 公衆衛生の啓蒙

明治初期の農村では、まだ「衛生」という概念が浸透しておらず、
井戸や食事の管理が不十分で、感染症が流行しやすい環境にありました。

雖軒は医師としてだけでなく、**公衆衛生の“伝道師”**としても活躍しました。

  • 手洗いや煮沸消毒の必要性を説く
  • 井戸の位置や排水の工夫をアドバイス
  • 栄養バランスや体調管理について“生活に根ざした医術”を展開

■ 文化人としての一面

診療の傍ら、雖軒は書や詩を嗜む教養人としても知られていました。
診察後に、患者に自作の漢詩を渡すこともあったといい、
それを受け取った患者が「薬以上の励ましになった」と語ったという逸話も。

残された詩文や書画は、現在も地域の資料館などに保存・展示されており、
その筆致には、静かに燃えるような知性と優しさがにじみ出ています。


📌キーワード

  • 施治患者表:雖軒が記録した診療台帳。地域医療の実態を示す一次史料。
  • 往診:交通手段が乏しい時代、徒歩や馬で地域を回っていたとされる。
  • 医師=教育者:雖軒にとって、健康の知識も“学び”の一環だった。

🌿人柄が伝わるエピソード

「大根役者」の話?

ある冬、農家の患者が雖軒の治療に感謝し、
収穫したばかりの巨大な大根を何本も持参してきたそうです。

それを見た雖軒は笑いながら、
「これでは医者でなく、大根役者だな」と冗談を飛ばしたとか。

地域の人々との信頼関係が、こうした温かい交流に現れていたのかもしれません。


📝次回予告|第7回「文化人の顔 ― 書と詩と、雖軒の世界」

医師、教育者としての顔とは別に、
詩や書を愛し、文化を育てた一人の“文人”としての雖軒に迫ります。
地域の若者と共に詩を詠み、漢詩を日常に溶け込ませた、もう一つの生き方の記録です。

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