本多雖軒年代記

【本多雖軒 年代記】第11回|晩年の営み ― 医と教の軸、そして“終の刻”

82年の人生を駆け抜けた本多雖軒。
その晩年もまた、静かに燃えるような「生き方」そのものでした。
今回は、地域に根ざした実践者としての最晩年の姿と、
彼が最後まで貫いた信念をたどります。


■ 医師としての現役生活は、最期まで

晩年の雖軒も、医師としての務めを決して手放すことはありませんでした。
府中や国分寺、小平といった地域を中心に、彼の往診は続き、
老いてなお、**「町医者」ではなく「地域の拠り所」**であり続けたといわれます。

その診療は単なる投薬ではなく、
暮らし方の相談や、子どもの教育についての助言を含む、まさに**“生活全体のケア”**。

「薬は体だけでなく、心にも効くものでなければならぬ」

そんな言葉を遺したとされる雖軒の診療は、
今日でいう“地域包括ケア”の先駆けとも言える姿でした。


■ 長屋門を拠点とした“知の交流”

国分寺村の実家・本多家長屋門は、
晩年の雖軒にとって単なる住居ではなく、
学びと出会いの拠点でした。

  • 若い門弟たちへの指導
  • 地元の知識人との往来
  • 医学・書画・詩などを語らう場としての開放

ここには“私塾”とも“サロン”ともいえる空気が流れており、
雖軒のまなざしは常に“次の世代”へと向けられていました。


■ 師・覚庵を超えて

かつての師・本田覚庵との断絶。
それは若き雖軒の大きな心の傷でもありました。

しかし晩年、彼は**「かつての弟子を拒まない」**という姿勢を貫きます。
どんな背景の者でも、学びたい者には分け隔てなく門を開いた。

「教えとは、伝えるものではなく、育つものだ。」

この境地にたどり着いたとき、
彼はある意味で、師・覚庵を乗り越えたのかもしれません。


■ そして、静かな幕引きへ

1916年(大正5年)、本多雖軒は82歳でこの世を去ります。
最期まで医師として診察を続けていたとされ、
亡くなったその日も、午前中は往診に出ていた――という逸話も。

葬儀には多くの地元民が詰めかけ、
中には「最期の診療を受けた」と涙ながらに語る者の姿もありました。

彼の生涯は、まさに**「医と教を貫いた一生」**でした。


📌キーワード

  • 生涯現役:最晩年まで診療を続けた医師の姿。
  • 地域との絆:長屋門を拠点に築かれた知のネットワーク。
  • 教えの継承:「拒まず、導く」という教育者の覚悟。

📝次回予告|第12回「雖軒のまなざし ― 現代に生きる教育と医療のヒント」

最終回となる第12回では、本多雖軒の思想が現代にどう息づいているのか、
教育・医療・郷土研究の視点から、その“レガシー”をひも解いていきます。

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